腐敗・ネタバレ頻発地帯。警告はしました。それでは撃ちます。
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そうそう。びしばし。
こう、いいか、って、きれてしまうんだ。
なんかそういう決定的で死滅的な瞬間が、ふっとどこかできた。
多分それは今年とか去年ではなく、きっともう私にとってのそれは3年くらいは前にきたんだと思う。
基礎科から本科にあがって、最初の年。冬辺り。
あの辺。
なんていうかこう、死の瞬間とでも言うのか、そういう魔がさしたというか。きたんだ、きっと。
それから未だ出られない、出ようとしていないのかも、私は。
基礎科の頃とか最後の方に3回とか休んだ他は休まなかったもんな、レッスン。
休むとか(今でも思うことは思うけど)罪悪だったもんな、私にとっては。
これ上↑の休んだのも進級審査後だったし。
まぁ力抜けてたんだろうってことには変わりないから、どっちにしろ駄目なもんは駄目だけど。
だからこれは思うに、中学生の頃を思い出してみればいいと思うんだ。
やっぱり私にとってあの頃っていうのは一番尊いものというか大切なものなんだなぁ。
国立大統廃合の波とかふざけんなよ。
無くすんならあの温度低くてアクセス最悪な住吉の方にしろ。
せめて私に投げ打つ財産があれば。ものがあれば。
きっと惜しまず使ったろうに。
私単なるガキだもんなぁ・・・。
他の皆は少なくとも私よりは持ってるから、やろうとしたらもうちょっと、いやもっと貢献出来ちゃうんだろうなぁ・・・。
やっぱ皆は凄いな。
私にとって、
・・・なんだろう。
話を戻せば、
中学の頃は今の5倍以上は一杯一杯に頑張ってたというか、忙しくしていたと思うんだ、多分。
ガッコ行って、塾行って。
塾は週二回とテスト前の日曜講習とかあって。
平日の通常授業は夜7時10分から始まって、終わるのは午後9時20分。
もうバスも最終のに間に合うか合わないかで、それ乗り逃すと私鉄で帰るしかない。
けど父は最寄の私鉄の駅から家の方へ向かう最短ルートの中にある、駅から出て直ぐのところから繋がってる地下道が暗くて湿っぽいのを危ないと言って私がそこを通ろうとするのをいいと言ってくれなかった。
こんなもんどうされるっていうんだよと思ったし言ったけど、結局納得して貰えず仕舞いだなぁ。(苦笑)
それで塾から帰ってからちょっと何か食べたりとかする時もあったりなかったり。
で、お風呂に入る。
その頃も今と同じ様な症状で、下手をしたら今より酷かったかもしれないけれど翌朝また起きて学校へ行くので風呂には毎日入っていた。まぁ大方の人にとっては当然のことだよね。(笑)
毎日のように手脚を剃って。あがってからは顔剃りとか化粧水はたいたりとか。その後はビフナイトみたいな、ニキビ対策薬をぬったりアレルギー持ちなのでその他にも薬を塗ったりする時もあった。
・・・・・これ全部学校終わってからやってたんだよねー・・・。
学校は学校でさ、私、テスト前には予習なんて皆無だったけど、授業中は真面目っ子してたんだよ。
部活も(パソ部だったけど)ちゃんと(ちゃんと??)課題(学校のサイト作り)こなしてたし。これでもいちお、他の誰よりさっくり働いてたと思うんだけど。
それ以外にも、委員会、実行委員会、あとシーズンによっては競技や歌の練習、ディベートやってた時分には朝図書室に集まったり。朝八時集合とか我ながら頑張ってたんだね、あれ。
おかげさまで当時ディベートは結局折角チームが県大進んだのに(まぁ私はレギュラーなんてとてもだったけど。)応援に行けず。
貧血が強く出て、朝まじで起き上がれなくなっちゃったんだよね。
正常値の半分くらい、いや半分弱??くらいしか血中に鉄が無かったらしい。当時の私の血。
あの時は心底こんなもの要らないと思った。
やっぱり私はあの頃に戻るべきなんだろうか。
今の私があのテンポに立ち戻れる術があるとすれば、それは1人で暮らすことくらいしかないんじゃないか。
東京でひとりぐらし。
出来るだろうか。
落っこちた時、私はどうするんだろう。
こう、いいか、って、きれてしまうんだ。
なんかそういう決定的で死滅的な瞬間が、ふっとどこかできた。
多分それは今年とか去年ではなく、きっともう私にとってのそれは3年くらいは前にきたんだと思う。
基礎科から本科にあがって、最初の年。冬辺り。
あの辺。
なんていうかこう、死の瞬間とでも言うのか、そういう魔がさしたというか。きたんだ、きっと。
それから未だ出られない、出ようとしていないのかも、私は。
基礎科の頃とか最後の方に3回とか休んだ他は休まなかったもんな、レッスン。
休むとか(今でも思うことは思うけど)罪悪だったもんな、私にとっては。
これ上↑の休んだのも進級審査後だったし。
まぁ力抜けてたんだろうってことには変わりないから、どっちにしろ駄目なもんは駄目だけど。
だからこれは思うに、中学生の頃を思い出してみればいいと思うんだ。
やっぱり私にとってあの頃っていうのは一番尊いものというか大切なものなんだなぁ。
国立大統廃合の波とかふざけんなよ。
無くすんならあの温度低くてアクセス最悪な住吉の方にしろ。
せめて私に投げ打つ財産があれば。ものがあれば。
きっと惜しまず使ったろうに。
私単なるガキだもんなぁ・・・。
他の皆は少なくとも私よりは持ってるから、やろうとしたらもうちょっと、いやもっと貢献出来ちゃうんだろうなぁ・・・。
やっぱ皆は凄いな。
私にとって、
・・・なんだろう。
話を戻せば、
中学の頃は今の5倍以上は一杯一杯に頑張ってたというか、忙しくしていたと思うんだ、多分。
ガッコ行って、塾行って。
塾は週二回とテスト前の日曜講習とかあって。
平日の通常授業は夜7時10分から始まって、終わるのは午後9時20分。
もうバスも最終のに間に合うか合わないかで、それ乗り逃すと私鉄で帰るしかない。
けど父は最寄の私鉄の駅から家の方へ向かう最短ルートの中にある、駅から出て直ぐのところから繋がってる地下道が暗くて湿っぽいのを危ないと言って私がそこを通ろうとするのをいいと言ってくれなかった。
こんなもんどうされるっていうんだよと思ったし言ったけど、結局納得して貰えず仕舞いだなぁ。(苦笑)
それで塾から帰ってからちょっと何か食べたりとかする時もあったりなかったり。
で、お風呂に入る。
その頃も今と同じ様な症状で、下手をしたら今より酷かったかもしれないけれど翌朝また起きて学校へ行くので風呂には毎日入っていた。まぁ大方の人にとっては当然のことだよね。(笑)
毎日のように手脚を剃って。あがってからは顔剃りとか化粧水はたいたりとか。その後はビフナイトみたいな、ニキビ対策薬をぬったりアレルギー持ちなのでその他にも薬を塗ったりする時もあった。
・・・・・これ全部学校終わってからやってたんだよねー・・・。
学校は学校でさ、私、テスト前には予習なんて皆無だったけど、授業中は真面目っ子してたんだよ。
部活も(パソ部だったけど)ちゃんと(ちゃんと??)課題(学校のサイト作り)こなしてたし。これでもいちお、他の誰よりさっくり働いてたと思うんだけど。
それ以外にも、委員会、実行委員会、あとシーズンによっては競技や歌の練習、ディベートやってた時分には朝図書室に集まったり。朝八時集合とか我ながら頑張ってたんだね、あれ。
おかげさまで当時ディベートは結局折角チームが県大進んだのに(まぁ私はレギュラーなんてとてもだったけど。)応援に行けず。
貧血が強く出て、朝まじで起き上がれなくなっちゃったんだよね。
正常値の半分くらい、いや半分弱??くらいしか血中に鉄が無かったらしい。当時の私の血。
あの時は心底こんなもの要らないと思った。
やっぱり私はあの頃に戻るべきなんだろうか。
今の私があのテンポに立ち戻れる術があるとすれば、それは1人で暮らすことくらいしかないんじゃないか。
東京でひとりぐらし。
出来るだろうか。
落っこちた時、私はどうするんだろう。
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